二十数年ぶりに、また、先生と会えた

小学校の二年生から完全に学校に行かなくなった私は、不登校というカテゴリーに入ることになった。

私が小学校二年生だった当時、不登校という言葉すらもあまり世間では見かけないものだった。

市民権を得ない言葉のカテゴリーに入ることになった私を含め、幾多の子どもたちは、家に隠れるか、親たちが必死に探し回ることで、どうにかしてまだ珍しいフリースクールに通っていた。

私は不登校の子どもが珍しい当時の中でも、十もいかない歳であり、母は大層頭を抱えた。

親としては、「標準的な子ども」から大きく外れた私が心配だったり、不安だったりしていたようで、母も父もひたすら怒鳴りあっていた。

記憶に残っている風景がいくつかあって、そのひとつに、サイボーグクロちゃんを見ている私の後ろで、私のことについて両親が怒鳴りあって険悪な雰囲気になっていたことだ。

私は大好きなアニメを見ながら、不登校になった子どもは、好きなアニメを見てはいけないのだ、と、両親の苛立ちの視線を背後に感じながら、画面で跳ね回るクロちゃんを見ていた。

 

 

母が私を連れ、福祉センターに連れて行き、相談をしたところ、ならばうちでその子を少しの時間、預かりましょうか?と、とてもありがたい申し出があった。

一も二もなくその申し出を受けた母と私は、その日、先生に出会った。

先生は優しい目をしていて、微笑みを自然と浮かべていて、元気いっぱいな私を、心から大切に育んでくれた。

 

先生と二人きりで遊ぶ時間は、幼い私にとってとても楽しいもので、特に絵本を一緒に読むのが大好きな遊びだった。

 

 

「おひさまになったちょう」

 

昔むかしの絵本だから、もしも今どこかで見かけることができたなら、それを私は奇跡だと言いたい。

 

暗いお堂の中に居る大仏さまは、外の景色を見たことがなかった。

暗い、暗いお堂の中、一人、座している。

そんな折、ひらり、と、場違いなまでに鮮やかな黄色の光がお堂の中に飛び込んで来た。

よく見ればそれは、黄色いちょうちょだった。

ちょうちょは無邪気に大仏さまに話しかける。

「あなたはどうしてこんなくらい場所にひとりでいるの?」

「わたしはここから動けないからね」

「そうなのね。……ねえ、今日はおひさまがさんさんと照っているわ!とてもきれいなの!」

「そうなのかい?どんな色をしているんだろうなあ」

「わたしの羽根を見て!こんなにきれいなおひさまの色なの!これがおひさまの色よ!」

「きみの羽根は、おひさまの色をしているんだね」

明るく陽気に、外の世界の話たくさんするちょうちょに、大仏さまはやさしく微笑み、じっと話を聞いていた。

 

季節は移ろう。

ひらひらと、おひさまの色をしたちょうちょは大仏さまの足元に横になってたずねた。

「ねえ……わたし、きれい?」

「ああ。とてもきれいだよ」

「わたし、おひさまみたい?」

外の世界を見たことのない大仏さまは、ちょうちょがお堂に入ってきた時のことを思い出していました。

まるで光のように。まるで太陽のように。

まるで、おひさまのように。

「ああ。きみはほんとうに、おひさまのようだ」

ちょうちょはちいさな黄色のからだを、うれしそうに大仏さまの足元に横たえました。

 

 

 

この絵本を先生と交互に読んでいた私は、先生が、ちょうちょが息絶えるところで声を詰まらせたことに気がつき、顔を見上げたことを覚えている。

ぽろぽろと涙を流し、ちょうちょを悼む大人の姿に、私はとても驚いた。

大人が泣いているのを見るのは初めてだった。

絵本で泣くなんてと、この記事を読んでくれた世界の誰かは、馬鹿にするだろうか。

私はその時に先生から「やさしい心」という、姿もなにもないものを受け取れたのだと、今になって思う。

 

 

先生に会えない間、私は順調とは呼べない人生を転んで泣いて喚いて、でも生きていた。

先生という、やわらかく、もろい心の拠り所があったから、私はここまで生きてこれた。

 

先生と二十数年ぶりに会えた私たちはたくさん話をした。

その会話の中で、「ありのままのあなたを認めてくれる場所が必要よ」

と、先生が言った時に、ここで泣いて先生を困らせたくないと思っていた私は、ぼろぼろと涙を落とした。

 

 

先生と離れ、中学生になった私は、ありのままの自分では生きていけないと悟り、必死に「普通」を真似してなんとか不器用にやっていた。

 

ありのままの私を愛して元気にさせてくれた先生は、変わらない優しい目でまっすぐこちらを見て、微笑んでいた。

 

「また」

 

と、別れる前に、私よりとても小さな先生の身体いっぱいの強い力で、私を抱きしめてくれた。

 

 

ずっと、今日、こんな日が来るのを、辛い時に想像していた。

 

私の願いは叶った。

 

 

両親と私を包丁で殺してしまえば、もう悩むことも苦しむこともお互いに無い、と両親に話してしばらくして、ふと包丁をしまっている扉を見ると、四本あった包丁は一本になっていた。

 

なぜそう思うに至ったのかなど、私の話を聞くことは一切せずに、ただ自分たちが殺されないようにと、包丁を捨てたか隠したかした両親を思い、とても悲しくなってしまった。

 

 

 

そんな時、おひさまのような先生のことを思い出すのだ。